学校教科の法則:思考は区分に縛られる
息子が先週、小学校を卒業しました。
これから算数が数学になる?
そんな話をしながら、ふと気づいたこと。
「理科」+「社会」=「生活(小1&2年生の教科:1992年施行)」
とか
「理科」=「物理」+「化学」+「生物」+「地学」
「社会」=「歴史」+「地理」+「公民」
とか、
私たちは、自分の学んだ時の教科で思考が縛られるところがあります。
ところが、社会に出てから、本当に何かを作り出そうとしたら、
必要とされるのは、それらを超えた思考をしなければなりません。
学ぶ時に適切だった区分が思考を縛って、
せっかく学んだものを生かせなくなることがあるかも。
そんなことを感じました。
学ぶ時の区分と生かす時の区分が遠ざかりすぎると、
新しいものが生まれなくなるのかも。
例えば、
「化学」+「家庭科」で何が生まれるだろう?
「生物」+「家庭科」だったら?
「物理」+「技術」+「数学」だったら?
「化学」+「美術」だったら?
「国語」+「美術」なら?
「古文・漢文」と「英語」なら?
ちなみに私は、「微分・積分」がわかるようになったとたん、
「物理」が好きな科目になった経験があります。
学ぶ時の区分と生かす時の区分。
職場の新人教育でも、考えたほうが良いかもしれませんね。
***今日の質問****
Q:あなたのビジネスを8つ程度の分野に分けると?
Q:それぞれのビジネスで必要な仕事を8つ程度のプロセスに分けると?
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群(集合)とは、心理学にいう形態(ゲシュタルト)である。
したがって、それは見るものの主観のうちに存在する。
「創造する経営者」p136